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命日

今日は 実父の14回目の命日です

今 愛媛の実家には 叔母が(父の妹)住んでくれています。
なので お仏壇は 叔母がいてくれる間は、実家にあります

命日には 長野の銘菓 「まほろばの月」を お供え用に送っています
そのほか 叔母に水ようかんやお菓子を送りました。
そして今年は お供え用に これも送りました

なめ茸です

入院になった父が 食べたいと 病院の公衆電話から電話してきました。
みんなにもあげたいと言うので 多めに送りました。
その時は いつもの調子で元気に話をしていたのですが、電話もこなくなりました。
IMG_6200_20170915165604369.jpg
(送る前に写真を 父のスナップ写真と におい袋に父の髪を少し入れたものを置いて いつもお線香をあげています)

入院の直前まで 畑仕事や いろいろ動いて働いていました。
病院嫌いの父は 疲れやすくなったと言いながら 「やせてきて(様子が)おかしいから 病院で診てもらうように」と 皆に言われても病院へ行こうとしませんでした。
そして 周りのみんなが説得して やっと検査入院することに
父は検査をしてすぐ家に帰れるものと思っていました。

叔母から 「父が肝臓がんで 手術もできなくて 余命2か月」 と電話で聞いたのは、父の誕生日でした。
検査していきなり 余命2か月… 毎日泣き続けました
本人は 退院して 夏休みに孫が来たら 魚釣りへ連れて行ってやらんと! と自分の病気は治るものと信じていました。
あの頃はまだ 本人にガン告知を家族の承諾がなければしませんでした
父の性格から とても言えず、みんなで普通を装って隠し続けるのが すごく辛かったです。
もう会えなくなるというのに 「ありがとう」 も言えないんです

小さい頃から 父が大好きで 父の姿をよく見ていました。
いつも人のために一生懸命やっていました。
抗がん治療で 幻覚を見ていても 「孫が帰るから 荷造りをしてやらんと」 と言っていたそうです。

何もしてあげられなくて ずっと後悔し続けました。

父が死んでしまうという時に ほかにいろいろ大変な辛い思いが重なって、それが私の病気の始まりだったかもしれません。


父は77歳で他界しました
15歳のときに 父親を病気で亡くし それから 母親と妹のために 働き続けました。
仕事で転勤で長野に来て そのまま定年まで長野で暮らしました。
なので 私は 両親の方言を聞いて長野で育った感じです。

定年になって ふるさとに家を建ててもどりました。
その後 身体が弱かったため結婚をしないで 一人埼玉で働き続けた叔母も 定年になって ふるさとへもどりました。

家族遠く離れ離れでいることが、どんなに大変なことか 若い頃は思ってもみませんでした。
でもまた 二女も結婚して遠くへ行ってしまいました…

ビデオやカラオケなど新しいものが出ると真っ先に 買っていた父
勉強も好きで、老後も お寺のことや興味をもったら調べて 人に講演したりもしていました。

父が今いたら、パソコンを教えてあげたいです
きっと目を輝かせて いろいろ検索して勉強したり楽しんでいたと思います
私の動画も観て喜んでくれていたと思います
ゲームも熱中したと思います

父が良く聴いていた 映画音楽 鉄道員や太陽がいっぱいやロマンス 下手なギターでも きっと喜んで聴いてくれたと思います

残念です
父との思い出がいっぱいで、思い出すと涙が出ます

でもでも、私もいつか こういう日がやってくるのですよね
なので 生きている貴重な時間を 泣くより笑って過ごさないと!と思うようになりました。



そんな笑顔をくれる この方

サンパラソルの鉢に ハコベがちょこっと生えていました
それを久しぶりにあげると
もう必死な👀
あっという間に実がなくなりました(笑)
IMG_6272.jpg

コメント

お父様、優しいお方だったんでしょうね。
77歳なんて最近ではまだまだ元気な年なのに残念ですね。
遠く離れて暮らしているのってこういう時辛いですね。
後悔もあるでしょうけど、同居してても私も父に対して
申し訳ない気持ちはぬぐえません。
長い入院生活でしたが何もしてあげれませんでした。

えがおさんの言われる通り、泣いてばかりでは
天国のお父様も心配されますでしょうし
いい想い出をたくさん思い出して笑ってすごして下さい。

人には寿命があります。
いつも思うのですが、これがわからないから人生なんでしょうけど
わかったら今あるお金と相談して
やりたいことをやるのにな~とか思います。
それはそれで面白くない人生でしょうか。

勉強熱心なお父様は天国でも学ばれてるんじゃないですか。
パソコンもえがおさんより使いこなせてたりして(笑)

命日って思い出すためにあるんですね。
いい想い出だけを。
2017-09-15 22:01 | よっさん #- | URL編集 ]

よっさんさん ありがとうございます(^_^)

そうですね 父は優しかったです
子供の頃の父の口癖は 「女の子は 勉強はできなくてもいい、挨拶ができて いつもニコニコ笑っているのが大事」です
子供の頃 ふくれて ほっぺぶ~なんて膨らませていたら、その時はピシャンとはたかれました
でも なにかあると真っ先に飛んできてくれたり、子供や人のためにいろいろ考えてくれたり 父のことが大好きでした

もっといろいろやりたかったと思います
でも 人に迷惑はかけたくない父なので、長い入院にならず 良かったのかもしれないです
これ以上長引いていたら 母もどうなっていたかわからないです

次々お見送りをして、悲しいのですが、でもいつかは自分もそうなるので、悲しんでばかりで暗くなっていたらいけないと思うようになりました。 あとどれくらい生きられるかわからないので、生きている人が今を楽しまないとと思います。

ホント 寿命がみんな同じだったら、どんな生き方をするのでしょうね
お金持ちで 高価なものがいっぱいあっても、あと少しの命だと思うと それは価値がないものときづくかもしれないですね

天国でパソコンを習っているでしょうか
それで夢中になっていてくれたらいいなあ


2017-09-15 23:06 | よっさんさんへ #- | URL [ 編集 ]

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